tituti MAGAZINE

tomoko nagaike

#05 INTERVIEW 長池朋子

tomoko nagaike

他にも特殊なお仕事として、ディズニーのスティッチのぬいぐるみ制作に携わった。

たしか15年くらい前だったかな。スティッチがハワイから沖縄に引っ越してきたバージョンがあるんですけれど、それが放映されるので、沖縄の工芸品を使ったオリジナル商品の開発という依頼があったのかな。それで、ライセンスを持っている会社が工芸をやっている人たちに聞いて回って、その時に織りで私に声がかかり。

工芸でスティッチのぬいぐるみを作るという計画だったんです。本体部分を手織布、爪は琉球ガラス、耳は紅型、おなかのところにスティッチのシルエットを花織で作って、一体ごとにナンバリングされた十何万円のぬいぐるみができました。

豪華ですね。ロゴの織りを一度やっているので、順調にいけたのでしょうか。

いえ、結構難しかったです。スティッチって意外と複雑で特徴がありますよね。耳が切れていたり、シンプルじゃないんです。どうしたらそれっぽくなるかなって、試行錯誤しました。

たぶん、私はそういうお声がけしてくれる人に恵まれてるんですよ。すごく面白い話をふってくれる。こういうお仕事に恵まれたのは、おそらく当時は自由のきく織物をやってる方が少なかったんですね。織物できるよ、だけど工房に所属してるよって。そういう方達だとなかなか要望に対して自由に応えるのも難しくなってきますよね。私にそういうフリーさがあったのでちょっと面白い仕事が来たかなって。なんでも織りますよって。

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現在は、しよんとtitutiに所属されていますが、titutiに関わるきっかけになったのはどういった経緯からでしょうか?

もともと、titutiに所属していた紅型作家の知人がいて、産業祭りで展示会をやってたんですよね。当時はtitutiではなくて沖縄新工芸研究会という名前。それを見に行った時に面白い活動だねって話をしたら「ミーティングに参加してみる?」とお声がけをいただいて、それがきっかけ。初めは『機織工房しよん』として参加したんですよね。その当時新工芸研究会には20人くらいいて、年齢層も広くていろんなものつくりの人たちがいました。

その展示会で魅力を感じた部分は覚えていますか。

その時、新しいことをやってるなって感じたんですよね。新工芸研究会が新しい動きになるって感じ。

それで、はじめは機織工房しよんとして参加しました。ある時、新工芸研究会が大きく形が変わる時があって、しよんとして続けるかどうするかっていう時に、私は続けたいと。それで、しよんとしてではなく長池朋子として残りました。

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残る意義を感じたわけですね。

そうですね、やっぱり面白い集まりだったので。雰囲気も違うし、挑戦のしかたもまた違う。

自身の作品に影響を与えた実感があったのでしょうか。

与えましたね。完全にね。ここのメンバーって開かれてる。オープン。挑戦好き。うーん、なんか簡単にいうと「海外旅行いく?」って言ったら、「いくいく。」って言うのがtituti。多分私には、これがいろいろな部分で調和が取れてよかったかなという感じ。

パラダイス通りの時のお店のオープン楽しかった。すごい古い古民家だったのですが、みんなで休みなしで解体とか壁塗りとかして。自分の制作をしつつお店を作りつつなので、オープンした時全然商品が間に合わなかったんですよ。ここはなんのお店っていう感じ。しまったー、商品がなーい。

でも今だったらあんな体力ないね。プロにお願いします。

※2010年に「tituti OKINAWAN CRAFT」としてパラダイス通りに店舗をオープン。2015年に牧志2丁目へ移転。2019年に現在の店舗へと移転する。

そういった数々の経験を経て現在のtitutiがあるのですね。今後もtitutiでどのような形で活動していくことを考えていますか。

本当にここはいい場所。若い人だけではなく地元の年配の方も来てくれるし、旅行者も若い方から年配の方まで。どんどんチャレンジしたものを見せられる場所。それを活用できるいい立ち位置にいるので、存分に糧にしていきたいですね。

ありがとうございます。第一回はさまざまなお仕事の中でも、特殊なお話を中心にしていただきました。次回はお生まれや作家活動、織物に関することなど、いろいろなお話をお聞かせいただきたいと思います。

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