tituti MAGAZINE

tomoko nagaike

#06 INTERVIEW 長池朋子

前回に引き続き、長池朋子さんのお話をお伺いします。今回は染織と出会うまでの経緯、またその後の活躍などを中心にお話をしていただきます。

第一回は以下のリンクからご覧いただけます。

お生まれは神奈川県とお聞きしました。

神奈川県の東部の方、葉山という町で生まれました。三浦半島の根っこ、鎌倉の二つ隣ですね。水着のまま出掛けて泳ぎに行けるような海の町です。海だけでなく山もあって、でも電車が通っていないので静かな町。海ではよく遊んでいましたが、今は沖縄の穏やかな波に慣れちゃって向こうの海は少し怖いかな。沖縄と比べると波があるので、こんなところで泳いでたんだなって。

東京や横浜に出るのにもそんなに大変じゃないし、富士山も見えるので場所はとてもいい。中学生の頃は原宿がすごい流行ってたから、遊びに行ってクレープを食べたりしました。絵に描いたような田舎の子ですね。

糸

ずっと続けていたい。目的が完成ではなくて、その作業が続くのが好きなのかな。

ものづくりは当時からご興味はあったのでしょうか?

小学校の二年生からお絵かき教室、中学生になると絵画教室という名前になるのですが、先生が個人でやっている教室に通っていました。通い始めたのは友達が通っていたからという理由だったのですが、行ってみたらすごい楽しくて。

はまってしまうとずっとやめないので、多分迷惑な子どもでしたよ。小学校の絵画教室って八時くらいには終わるのに、私は十時くらいまでずっとやってるんですよ。ずっと続けていたい。目的が完成ではなくて、その作業が続くのが好きなのかな。

デッサンをする週と想像の絵を描く週とが交互にあって、冬休みや夏休みは工作教室に変わるんです。銅板に穴を開けてランプシェード作ったり、たまにはクッキーを作ったりと、なんでもありな感じ。でも、その教室のおかげで工夫ができる力を養ってもらった気がします。これをああしたらこうなるかな、とか。

もののできる仕組みが学べたということですね。

そうですね。結局こういう道に進んだのは先生のおかげ。その絵画教室の先生とは今でも仲良しで、沖縄にいらっしゃった時には一緒にご飯を食べたりもします。

糸

長池さんの作品には丁寧さや緻密さに加え、色の使い方にとても魅力を感じます。その絵画教室でも、色彩感覚を身につけられるような機会はありましたか?

そうですね。先生が油絵出身の先生なんです。当時小学校の教育って色を淡く薄く塗るっていう教育方針だった。だけど、真っ向からそれに反対していて、しっかり色を塗りなさいって。色の合わせ方などについて教えてもらった記憶はないのですが、いつの間にか勉強になったんだと思います。その時は全然わからないけど、いろいろなものを見られる環境にはずっといられたと思っています。

県立芸大で染織を学ぼうと思ったきっかけは、何だったのでしょうか?

ものづくりには興味はあったんです。母親がずっと刺繍をやっていたし、父親も祖父も日曜大工をやっていて、みんな、なにかものを作っている人たちだった。それで自然とものづくりが大好きだったので、大学は美術系にしようって。でも、何に進んだらいいかなって悩んでいる時にアドバイスをくれたのが、またお絵かきの先生。ずっと続けられると考えた時に、染織っていいと思うよって言われて。あ、染織かぁっていう感じ。

おもちゃの織り機があって、子供の頃から遊んでいたんです。実家のお隣にルーマニアの方が住んでいたんですね。その方がいつも海外から帰ってくると、いろいろなものをプレゼントしてくれるんです。その方もものを作る先生だったのですが、ある日、おもちゃの織り機を頂いたんです。絵を描き始めたのはあの人のところが一番最初かな。母より全然年上の方なんですけど、すごい可愛がってもらって。

それでお絵かきの先生に染織をすすめられた時、日本のいろいろな所を調べて、沖縄の工芸ってすごいんだなって気付かされました。

日本各地にもたくさんある中で、沖縄の工芸に惹かれた部分というのは?

おおらかな感じがいいなって思ったのかな。京都とかってかなり緻密じゃないですか。そういう感じよりは自由度がある感じ。そんなおおらかさに惹かれましたね。

tomoko nagaike

その後沖縄へ行き、芸大の染織科に入られたわけですね。

そうですね。4年間結構詰め込まれました。私は五期生なんですが、大学がいろいろなことに挑戦しようとしている時期だったんです。文科省の縛りも緩くなった時期で、さまざまな先生に来ていただき、いい先生たちから学ぶことができました。

印象的な先生はいましたか?

一番は細見房雄先生ですね。学生の頃は持っているものを全て詰め込みたくなってしまい、結果的にごちゃごちゃになってしまうのですが、先生には緩急の大切さを教えてもらいました。今でも作品づくりの際は、そのことをとても大切にしています。

それからは大学4年のあと、やり残したことをやりたくて研究生として一年だけ残りました。大きいものを作りたかったのですが、制作場所を考えるとなかなか作れないので。完成した重さは30キロ。重くて持てないくらいのものを作りました。制作期間は一年で実際手を動かしたのは数ヶ月ですが、完成させて最終的にはギャラリーの方が購入してくださいました。

一歩間違えると完全に失敗する寸前のところを常にチャレンジしていたかな。それが成功するとすごい楽しいですよね。

染織を学ぶということは、染織の手間を考えると非常に根気のいることだと思うのですが、学生時代に心が折れたような経験はありますか?

一度経糸がバッサリきれたときは心折れましたね。ブロックを蹴ってしまい、そのブロックが糸を分断したという。あれはとてもショックでした。友達のところに経糸が切れたって泣いて言いに行きました。あとはなんだろう。思いつかない時は苦しいですよね。作りたいのに思いつかないって。

大学では伝統的な配色や色彩なども学ばれるのでしょうか?

そうですね。そういう勉強はしました。それが今の私に大きく影響を受けたかっていうと、そこまで気になってはいないかな。例えば、織でこんなに面倒なことをデザインで考えるんだ、とかは思いました。

色について言うと、冒険をしない、失敗しない色の扱いっていうのを私はもともとやっていなかった。だから、一歩間違えると完全に失敗する寸前のところを常にチャレンジしていたかな。それが成功するとすごい楽しいですよね。

tomoko nagaike