tituti MAGAZINE

yumiko kinjo

#03 INTERVIEW 金城有美子

庭と陶器椅子

成功事例よりも失敗事例がたくさんあったので、あまりくじけないですよね。

県立芸大一期生ですね。

そうなんです。一期生です。奇跡ですよ。よく入ったなって。全校生徒は60人くらいで陶芸は男の人 3 人、女の人 7 人。一期生の試験はデッサンと面接と色彩構成と論文。センター試験みたいなのがなかったので、いろんな人が受けたんです。年齢差が結構あって30代後半くらいの人がいたり、私なんか学生から来て現役だから、みんな兄さん姉さん達ですよ。ちょうど学生運動やってたような人たちなんで、もう強くて。でも、そういうのがすごく面白かったです。演劇とか、いろいろなところに連れていってもらって、いろいろな経験をさせてもらいました。

一期生でよかったなと思うのは、きっと先生も立ち上げだったので手探りの状態だったと思うんですよ。なので、いろいろなジャンルの講師、普通は大学でも呼べない来ないような先生も沖縄だったら行こうかなって来てくれたり。

それに先生達がよかったと思っているんですけれど基本の基本というか、土を山から取ってきて生成して作ったり釉薬を作ったり、原料とかそういうところから教えてくれました。

今だったらネットでポチポチっとやれば土も買える、釉薬も買えるっていう時代なんですよ。でもそういうのができない、分からないから基本的なことを本当に当たり前にさせてもらって。

沖縄の南から北まで土採集に行って一泊二日くらいで先生達と検証しながら土採集。その後に、また自分たちの休みの日に取りに行って焼いてっていうのをやってたんですね。沖縄って、こういうのがすごい魅力的なんだなって感じました。

先生達いい大人が土を見て「うわっ!」て言う。土見てなんで「うわっ!」て言うんだろう、何を喜んでいるんだろうって思うんだけど見つけた時のその興奮の仕方が尋常じゃないから、それを知りたかったんですよ。何をこの人こんなに喜んでるんだろうなって。

「何か分からないけど焼いてみるかとりあえず。」という感じで手探りであっち行ったり、こっち行ったり。で、それが基礎になってるなと思います。

そういった基礎は、例えばどこかで自分のアイデアが引っかかったとき戻れるんですよ。これをこうするとこうなるかなとか、基礎の土台をブレンドしてこうすれば出来るかもしれない、みたいなことがあるので今はあまり失敗がない。失敗がないと言うより、ああいうこと何回も繰り返したからまったく苦になってないんですね。成功事例よりも失敗事例がたくさんあったので、あまりくじけないですよね。

サイン

沖縄県内だけでも土が結構違うものなんですね

違いますよ。大きく分ければ読谷の喜納あたりから南の土が、釉薬の塗ってない荒焼きに適してるんですね。喜納から北の方は上焼(じょうやち)って言いますが、釉薬のかかった焼き物が合います。土の成分も全く性質が違うし、扱いも全然違う。土の性格が違う。

なぜかと言うと、沖縄は何回か隆起しながらできた土壌だからです。有田とかは土の層が大きくて同じ土の体積が多いんですけれど、沖縄の場合は隆起が激しいので層の幅が狭いんですよ。30センチの幅に 5 センチくらいの幅の層がたくさん出来るわけですね。その中で、ここの層がすごくいいっていうのがあるんです。ここだけひと掘りくださいっていう感じ。

山を削りながらお仕事されてる方いるじゃないですか。土建屋さんと仲良くなって「おじさん。ここ、ここひとかきして!」って。ショベルのひとかきって相当な量でしょ。土嚢袋入れて「やった~!」みたいな。そういうことがすごい楽しかった。

土の違いや根元を理解できているので、アイデアが詰まった時に解決できるんですね。

そうですね、戻れる。あとは、みんながみんなそうじゃないと思うんですけれど、適当さ加減。いろんなことに興味がある分、この色をやってみようとか今度はこれが好きとか、やってみたいで全てが始まってるんです。なので私は追求型ではないです。

同じものを作り続けるのではない、とことん詰めていって線を出すっていうのとは違う。卒業したときに「おまえは何がやりたいか分からん。」って言われた時があったんですけど、自分もそうだなって思います。全部やりたい、興味があることは全部やりたい。とことん追求するとか完成度を求めるとか、私の性格上無理と思って自分がやりたいことをやるって思った方がいいじゃんって。それでオブジェをやる、インスタレーションをやる、陶器をやる。今でもこれ作ったの同じ人ですかって言われる。

窯から出す

陶芸家だったら陶芸しか作っちゃいけないのかなっていう縛り感が、私はすごい違和感がある。

そういったやり方に、周りから反発を受けることもあるのでしょうか?

まず始めに女ってなめられるんです。最初はくやしく思いました。「さっさと結婚してしまえ。」「いつまで、こんなことしてるんだ。」くらいの感じだったんですよ。途中から女でよかったなって思ったのが、遊ばせてもらえたんですよ。逆にね。「いいよ、いいよ、女だから適当にやってるんだろ。」くらいに。そこは私は、勝手に遊ばせてもらってるだけラッキーだって思えばいいかなって。今となっては逆にそれが良かった。

最初はすごい嫌だなーって思ってて。女流展ってあるじゃないですか。あの言葉が最初すごい嫌で。「女流陶芸展に出展します?」みたいに言われた時に「男流展やるんだったら女流展やってもいいですよ」って、言ったんですよ。

ジェンダーがどうのとかじゃなくて一作家として私はやってるだけで、女流作家だとか子供がとか年取った人がやるからとかじゃない。一個人がやるものを展示するっていうんだったらわかる。そういうものとして作品を見せるんだったらわかる。一個人が、この人が思う生み出したもんだっていう展示がいいと思うんです。女の人が焼き物っていうのは特別なんですかって思って。

ま、若いからね。今だったら「はいはいはーい。」という感じです。あはは。その時はすごい嫌でしたね。

でも、そういう展示はいっぱいありますが否定はしないです。女の人たちがどんどんやるのは全然否定はしないし、逆に自分たちを見せるためにって意志を持ってやってる人たちもたくさんいるので。

陶芸家っていう言葉も自分には最初違和感があって、陶芸家ってラインを決めるって言うのも好きじゃない。だけど名刺交換してる時に陶芸作ってる金城有美子って言わなきゃいけないから、まあ今になったらいいかなって。本来は「金城有美子」ってだけにしたいぐらいです。陶芸家だったら陶芸しか作っちゃいけないのかなっていう、縛り感が私はすごい違和感がある。

もう、段々と歳を重ねるとそういうのよりは「あ、この人陶芸家なんだ。」っていう方が素直にいいのかなっていうので、それを受け入れてます。でも、そうやって陶芸って認めてくれる人もいるので、そういう意味ではいいのかなって今は思うんですけれど。

金城有美子をベースとした表現というのは、陶器を見ても伝わってきますよね。たくさんの刺激的なお話ありがとうございます。次回は、作家として活動をしてきた中でのさまざまな経験を中心に、お話をお伺いしたいと思います。

器