tituti MAGAZINE

yumiko kinjo

#04 INTERVIEW 金城有美子

前回に引き続き金城有美子さんのお話をお伺いします。今回は作家活動を中心にお話しをしていただきました。

第一回は以下のリンクからご覧いただけます。

yumiko kinjo

大学を卒業してそのまま作家としての道を歩まれたのでしょうか?

非常勤助手になって二年。大学院ができたので、そこでまた学生をやり直した後に自分の制作に移行していきました。

最初は結構お金がないので、ろくろ一本だったんですよ。毎年展示をしようっていうのは決めていましたが、窯(かま)がないのはどうしようって。でも、沖縄で窯を持ってる人はいっぱいいるから、空いてるとこどっかあるだろって。

手当たり次第「すいません、窯貸してください。」って必死でした。とにかく焼かせて、もうここまで出来てるから、焼かさなかったらあなたが悪いぐらいの勢い。そしたら、もう借りてくれとしか言いようがないですよね。今考えたら嫌なやつだねって思う。あはは。

でも、そういうこともあるから失敗はできないというか、ちゃんとやらないといけないんですよ。ロブストも私の窯じゃないんです。浦添と本部、二件をピストンでやって。よく焼けたなって今でも思う。東京でも大阪でも展示をあちこちやってますけど、そんなのを 10 年くらいやっていました。

※ロブスト(robusto)/那覇市久米のバー。カウンター背面の陶タイルを金城有美子が手がける。

海外での活動もされていますね。

台湾と韓国にいきました。韓国はどちらかというとオブジェみたいな感じ。

あっちこっちいって思ったんですけど、日本の工芸って結構特殊なんです。韓国で器を作るってなると伝統になってしまうんです。「先生」って感じでよっぽど秀でないと、一般の雑器みたいな感じであつかわれる。自分みたいに「金城有美子」って名前で出るのはアーティストにあたるんです。なので数十万円、数百万円みたいな価格帯。だけど普通に器を作って売る人たちは雑器扱い。日本みたいに中間層がいないんです。

なので、アーティストなのに数千円で買えるの? っていう感じ。アーティストだと使うものではなくて飾るものなってしまうんですね。日本は本当に独特で自分っていうものを海外に出そうと思ったら、このギャップをどう表現したらいいんだろうと思って。

海外は装飾品も含めて、個性より職人というイメージが強いですよね。

そう、中間がないから 0 か 100 でバシッと分かれてる。日本で数千円あっちで数万となると、アーティスト金城有美子を買ったんだから、そんな安くで売るなってなる。そこのバランスが別物を提供しているっていうくらい難しいです。

だから、日本は特殊で面白いと思います。考え方も買う人も、それを使う人も他種多様で豊かだと思います。カフェで好きな作家さんの器を買って色々使えるじゃないですか。向こうの国では、作家さんのなんて使える機会がないので、羨ましいって言われます。フランスの方からも「自分たちは決まった白い器を買うしかない。日本で作家のものがこんなに安くて使えるなんて羨ましい」って。

確かに台湾の陶器街では同じようなものが並んでました。その中でも若い世代が個性的な新しいお店を出しているのも見かけました。

台湾の子達は結構来て買ってったりしますね。そういう人たちが増えたら、作り手たちも変わってくると思う。そういう意味では変わってきてるのかな。一番近いし、考え方が柔軟な国なんで。

この先、海外ではどういう形での活動を考えていますか?

元々インスタレーションやったり器やったりオブジェ作ったりで、展示の仕方をいろいろやっていたんです。どうしてそれをやってるかっていうと、器に落とせる表現が出来ることがあるんですよ。逆に器でやってることがオブジェで使えるなとか。行ったり来たりすると幅が広がるんですよね。今ほとんど器がメインになってきたので、振り子じゃないですけど、また違う方向のことをやると幅が広がるのかなって思っています。

幅が広がるっていう意味で言うと、無理難題とか。「こんなのできない?」って言われたときに、これをどうやったら出来るかなって考えながらやっていくと、新しい発想が出てくる。そういう意味で無理難題も意外と面白いです。実験もほとんどしないので基本一発なんですよ。失敗したらどうするというより、そこで出てくる色、これ使えるぞみたいに。

そうやって出てきたものを切り取って自分の中でストックしていくんですね。

そう。それが、重なると面白いんです。

田中紀子さんとは真逆ですね。

だと思いますよ。私無理だと思います。田中さんの仕事。彼女は本当に妥協しない。反面、私は妥協しっぱなし。

話は変わりますが tituti の前身、新工芸研究会初期のメンバーに、どのような経緯で関わることになったのでしょうか?

発起人がいて「こんなことをしたいんだ。」みたいに声をかけてもらって。「異業種の興味がある人たちでやってみませんか。」と。

当時は、今みたいにセレクトショップ自体も少なかったので、自分たちが発表する場って個展しかなかったんです。私が卒業した時も民芸センターとかお土産屋さんが主流で、自分たちが置けそうなところがなかったんですよ。個展でそこにきたお客さんに買ってもらう。沖縄の場合作家で動いてる人たちは本当に多くて、個展に来てくれる人たちも多い。本当この小さい島なのにって思うんですけど。それでも、なにか他にアプローチする方法はないのかな、何かをやらなきゃみたいな感じで。

それで異業種でコラボすることで何か見えるのかなと。だから最初は何も見えていないです。何をしたいから、というより工芸で集まって何か新しいことはできないか、という感じでしたよ。

異業種の人たちと一緒にやることで、変わってきた実感はありましたか?

自分の知らないことなので、楽しいと思いました。本来陶芸の人たちだけしか関わらなかったのが、漆の人たちだったり竹の人だったり、そういう人たちと交流ができるので。もしかしてこれできますかとか、こうなった時どうしたらいいですか、って話が聞けるわけです。ここに何かを取り入れるってことはないけど、相談ができる。そういう意味ではいい関係が作れたなと思います。全く知らなかった世界のことをわかるようになるので、話がしやすくなる、一気に絡めるようになりました。